哲学が問うD&Iの根源:「差異」はいかに構築され、アイデンティティに影響するか
現代D&Iにおける「差異」と「アイデンティティ」の哲学的な問い
現代社会において、多様性(Diversity)と包摂(Inclusion)、すなわちD&Iへの取り組みは喫緊の課題となっています。D&Iは、単に人々の「違い」を認め、受け入れることだと捉えられがちですが、この「違い」とは一体何でしょうか。そして、その違いはどのように個人の「アイデンティティ」と結びつき、社会における排除や不平等に繋がるのでしょうか。これらの問いを深く考えるためには、哲学的な視点、特に「差異」と「アイデンティティ」に関する考察が不可欠です。
私たちはしばしば、人々の属性(性別、人種、障がい、性的指向など)を客観的な「違い」として捉えがちです。しかし、哲学、特に現代思想は、この「違い」が単なる自然なバラつきではなく、社会的な力関係や規範によって「差異」として構築される過程に光を当てます。
社会的に「差異」はどのように構築されるか
「差異」(difference)という概念は、哲学において多様な議論の対象となってきました。単に二つのものが異なるという記述的なレベルを超えて、社会的な「差異」は、特定の基準や規範が設定され、そこからの逸脱として生み出されるという側面があります。
例えば、ミシェル・フーコーの思想は、権力が特定の「規範」を定め、それに合致しないものを「逸脱」や「異常」としてラベリングし、管理するプロセスを描き出しました。このプロセスにおいて、「正常/異常」「健康/病気」「合理的/非合理的」といった二項対立が生み出され、一方の項が他方に対して優位に立ったり、排除の根拠となったりします。ここで生じるのは、単なる「違い」ではなく、権力によって意味づけられ、階層化された「差異」です。
このように、「差異」は自然に存在するのではなく、歴史的、社会的、文化的な文脈の中で、権力や知識の働きかけによって「構築」されると考えられます。特定の属性を持つ人々がなぜ社会的に不利な立場に置かれたり、差別されたりするのかを理解するためには、どのような規範が機能し、いかにして彼らの属性が否定的な「差異」として位置づけられてきたのかを問う必要があります。
「差異」の構築と「アイデンティティ」の形成
社会的に構築された「差異」は、個人の「アイデンティティ」の形成に深く関わります。アイデンティティもまた、哲学において多様な捉え方がありますが、現代思想においては、単一で固定された本質的なものではなく、社会的関係性や文化的物語の中で形成される流動的なものとして理解される傾向があります。
ジュディス・バトラーのジェンダーに関する議論は、この点を鮮やかに示しています。バトラーは、ジェンダー・アイデンティティが、個人の内面にある本質ではなく、社会的な規範や期待に応えようとする反復的な行為(パフォーマティヴィティ)を通じて形成されると論じました。ここでも、特定のジェンダー表現が「正常」とされ、それ以外の表現が「異常」や「不自然」といった「差異」として位置づけられることで、個人のアイデンティティのあり方が制約を受けたり、周縁化されたりする構造が見て取れます。
社会的に構築された「差異」のカテゴリーは、個人が自己をどのように認識し、他者からどのように認識されるかに強い影響を与えます。例えば、ある人種や民族集団が否定的な「差異」として位置づけられる社会では、その集団に属する人々のアイデンティティは否定的なスティグマと結びつけられ、自己肯定感や社会参加に影響を及ぼす可能性があります。一方で、マイノリティ集団は、共通の「差異」を経験する人々として連帯し、集団的なアイデンティティを形成することで、抵抗や解放の主体となることもあります。
D&Iの実践における哲学的な示唆
哲学的な視点から「差異」と「アイデンティティ」を考察することは、現代のD&I実践にいくつかの重要な示唆を与えます。
第一に、D&Iは単に「違い」を「認める」という受動的な態度にとどまらず、社会的に「差異」がいかに生産され、それが不平等な力関係を生み出しているのかを積極的に「認識する」プロセスであるべきです。私たちは、どのような規範が誰にとって有利/不利に働いているのかを問い続けなければなりません。
第二に、多様なアイデンティティを包摂するためには、単に「個人」を受け入れるだけでなく、社会的に周縁化されてきた集団のアイデンティティ、そしてそれが形成されてきた歴史的・社会的な文脈への理解と承認が不可欠です。個々のアイデンティティの多様性は、社会的に構築された「差異」というフィルターを通して、不均等な形で経験されているという現実を見つめる必要があります。
第三に、構築主義的な視点は、アイデンティティが流動的であり、常に変化しうるものであることを示唆します。D&Iの実践は、固定されたカテゴリーに人々を押し込めるのではなく、多様なアイデンティティの自己定義を尊重し、変化する可能性を開いておく姿勢が求められます。
まとめ:哲学からの問い直し
現代D&Iの課題は、単に「多様な人々が共に働く場所」を作るという表面的な問題ではありません。それは、社会がいかにして「差異」を生み出し、それが人々の「アイデンティティ」に影響を与え、不平等を再生産するのかという、より根源的な問いと結びついています。
哲学、特に社会的な構築という視点から「差異」と「アイデンティティ」を考察することは、私たちがD&Iを考える上での土台を提供します。私たちは、目の前の「違い」がどのように社会的に「差異」として意味づけられ、それが誰のアイデンティティを肯定し、誰のアイデンティティを否定してきたのかを問い続ける必要があります。この哲学的な問い直しこそが、より公正で包摂的な社会を実現するための思考の出発点となるでしょう。