哲学で考えるD&I実践

困難な時代における希望の哲学:D&I実践を支える力

Tags: 希望, 哲学, D&I, 多様性, 包摂, 未来, 実践, ブロッホ, カント

はじめに:困難な時代における希望の問い

現代社会は、多様性や包摂(D&I)の重要性が叫ばれる一方で、根深い分断や格差、あるいは過去の不正義に起因する様々な困難に直面しています。こうした状況下で、D&Iの実践は時に大きな壁にぶつかり、理想と現実のギャップに直面することもあります。単に問題を分析し、現状を批判するだけでは、変革へのエネルギーを生み出すことは難しいかもしれません。

ここで立ち現れてくるのが、「希望」という概念です。希望はしばしば非哲学的で、単なる感情や楽観主義として捉えられがちですが、哲学史においては、単なる個人的な願望を超え、人間の存在様式や未来への志向性、さらには政治的・倫理的な実践の根拠を問う重要なテーマとして議論されてきました。

本稿では、この「希望」という哲学的な概念が、現代のD&I実践という困難な課題に対して、どのような視点や力をもたらしうるのかを考察します。希望を哲学的に捉え直すことで、私たちは停滞しがちなD&Iの議論に新たな動力を与え、より粘り強く、創造的に包摂的な社会の実現を目指すための示唆を得られるかもしれません。

希望の哲学:単なる楽観主義を超えて

哲学における希望は、単純な願望充足や根拠のない楽観とは異なります。それは、現実を直視しつつも、現状を超える可能性を認識し、まだ到来していない未来へと積極的に関わろうとする人間の根本的な態度や能力として捉えられます。

特に、ドイツの哲学者エルンスト・ブロッホ(Ernst Bloch, 1885-1977)は、その主著『希望の原理』において、希望を単なる心理状態ではなく、世界のオントロジー(存在論)に関わる原理として位置づけました。ブロッホによれば、現実には「まだそこにないもの」(Not-Yet-Being)が含まれており、希望はまさにこの「まだそこにない可能性」を捉え、未来への変革を志向する力なのです。彼は、夢想、願望、予感、理想といった多様な形態をとりながら現れる希望の働きを分析し、それが人間を現状に留まらせず、未完の可能性へと駆り立てる根源的な衝動であると論じました。ブロッホにとって、真の希望は、現実の矛盾や不正義を批判的に分析することから生まれ、「具体的なユートピア」の構想へと結びつくものです。これは、単なる逃避的な幻想ではなく、現実を変革するための実践的な目標としてのユートピアです。

また、イマヌエル・カントの哲学においても、希望は人間理性の問いの一つとして重要視されました。「私は何を希望してよいか」(Was darf ich hoffen?)という問いは、「私は何を知りうるか」「私は何をなすべきか」と並ぶ、人間の根本的な問いとされました。カントは、道徳法則に従って行為する人間が、その努力に対する「幸福」という結果を期待しうるかどうかを論じ、道徳的な実践が希望と不可分であることを示唆しました。

これらの哲学的な議論は、希望が、単なる偶然に期待するのではなく、現実の理解に基づき、未来の可能性を信じ、そしてその実現に向けて自ら行為することと深く結びついていることを教えてくれます。

D&I実践における希望の力

哲学的な希望の概念は、現代のD&I実践において複数の側面で力を発揮しえます。

第一に、変革の推進力としての希望です。D&Iの推進は、既存の構造や慣習を変えることを伴うため、しばしば抵抗や困難に直面します。ブロッホの言う「まだそこにない可能性」としての包摂的な社会を構想し、その実現を希望することは、こうした困難にも屈せず、変革へ向けて粘り強く努力を続けるための強力な動機となります。単に「こうあるべきだ」という規範だけでなく、「こうありうる」という可能性への希望が、行動を駆動するエネルギーとなるのです。

第二に、不正義に直面する人々の支えとしての希望です。差別や排除、構造的な不正義に苦しむ人々にとって、現状は絶望的に見えるかもしれません。しかし、それでもより公正で包摂的な未来が可能であるという希望は、尊厳を保ち、抵抗を続け、自己の権利を主張するための内的な力となります。アリストテレス・トマス・アクィナス以来の徳論における希望は、困難な状況においても善を目指す意思を支える徳として捉えられてきましたが、これは現代のマイノリティが直面する苦境における希望の役割と通じ合うものがあります。

第三に、未来を構想する力としての希望です。D&Iは単に既存の不正義を是正するだけでなく、どのような社会を目指すのかという未来像を描くことも重要です。哲学的な希望は、ブロッホの具体的なユートピアのように、現実の批判から出発しつつも、実現可能な理想社会の青写真を描くことを可能にします。この未来への構想力が、多様な人々が共に生きる社会の姿を具体的にイメージし、その実現に向けた具体的なステップを考える上での羅針盤となります。

希望と現実:批判的視点の重要性

しかし、希望を語る上で、その限界や危険性についても哲学的な検討が必要です。希望が単なる願望充足や逃避的な幻想に陥るリスクは常に存在します。現実の厳しさや構造的な問題を過小評価し、根拠のない楽観論に終始してしまうと、かえって現実的な対策がおろそかになり、真の変革から遠ざかってしまう可能性があります。

したがって、D&Iにおける希望は、ブロッホが強調したように、現実の批判的な分析に基づいた「具体的な希望」である必要があります。それは、不正義の根源を深く理解し、構造的な問題を直視することから生まれる希望でなければなりません。また、希望は行動と結びついている必要があります。希望するだけでなく、その実現に向けて具体的な実践(政治的な働きかけ、啓発活動、制度改革など)を行うことが不可欠です。

希望と同時に、絶望や無力感といった感情にも向き合う必要があります。アレントの政治哲学は、困難な状況下でも「始まり」(Natality)の力を信じ、予期せぬ新たな現実を生み出す人間の能力を強調しました。これは、希望が単なる心理状態ではなく、世界に積極的に関与し、新たな可能性を開く実践的な力であることを示唆しています。

結論:希望を哲学する意義

現代社会の多様性・包摂を巡る課題は複雑であり、時にその道のりは困難に満ちています。哲学的な視点から希望を捉え直すことは、こうした困難な状況にあっても、変革への意欲を保ち、より良い未来を構想し、そして具体的な行動を続けるための根源的な力を私たちに与えてくれます。

希望は単なる受動的な願いではありません。それは、現実を批判的に見つめ、まだ到来していない可能性を認識し、その実現に向けて自ら積極的に関わる、実践的かつ創造的な態度です。D&Iを推進する私たちは、この哲学的な希望の力を理解し、それを自身の思考や行動の核に据えることで、絶望に打ちひしがれることなく、粘り強く、そして力強く包摂的な社会の実現を目指すことができるでしょう。

哲学的に希望を問い続けることは、私たちがどのような未来を「希望しうる」のか、そしてその希望を実現するために「何をなすべきか」を問い続けることでもあります。この問いこそが、D&I実践における私たちの歩みを確かなものにしてくれるのではないでしょうか。